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2011年10月

2011年10月25日 (火)

時調(シジョ)と俳句の出会い

ちょうど東京へ行く所用があり、21日(金)は時間があったので、韓国文学翻訳院東京フォーラム2「時調と俳句の出会い」に行ってきました。

場所は、四ッ谷にある韓国大使館・韓国文化院の4階サランバン。
ビル街を見渡せる韓国庭園、朝鮮時代家屋の一部を再現したサランバンが、現代的ビルの一部に不思議な空間を演出していました。
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出演は、韓国文学の代表的詩人・李根培(イ・グンベ)さん、世界俳句協会会長であり漢詩人の石倉秀樹さん。
そして司会が、駐日スウェーデン大使のラーシュ・ヴァリエさん。

なぜスウェーデン大使が司会を?!とびっくりしましたが、ヴァリエ大使は、日本の大学で俳句の研究で博士号を取られた日本通。9月までは駐韓国大使でいらした方、とのこと。
韓国でも、韓国文学について研究され、日韓の文学について造詣が深い。
いや~、こんな方がいらっしゃるんですねー。

そんなヴァリエ大使の司会(もちろん日本語)で、それぞれの基調講演、作品朗読などがありました。

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時調(シジョ)は伝統的な詞の一種で、ファン・ジニが名人と歌われた、くらいの知識しかなかった私。
へえ~、と思うことがたくさんありました。
中でも、新羅時代からの伝統を有する時調は、詩でありながら同時に歌の詞であった、という話が印象に残りました。
だから、「詩調」ではなく「時調」、時代の調べ、なんですね。
あの「釜山港へ帰れ」の歌詞も、時調だということです。
高尚なものかと思っていたら、案外庶民的というか、だからこそ脈々と現代まで受け継がれているんですね。
李根培氏は、時調にこそ韓国語の美がある、と強調されていました。

俳句については、今や世界に広まり、英語やロシア語で俳句を詠む人も多い。つまり、五七五が俳句の本領と日本人は思っているが、海外に広まることによって自らの本領を破壊している。その破壊力が詩的自由の原動力、という石倉氏のお話には、ふ~む、とうなってしまいました。

また、それぞれの朗読が、石倉氏は淡々と、李根培氏は情感たっぷりに朗唱、という具合に対照的なのも、面白かったです。


そして終わってふと見ると、テレビでお馴染みのあの方が!

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現在放送中のNHKテレビハングル講座のチャン・ウニョン先生も聴講されていたのでした。
参加者は15名ほどで、こじんまりとコアな?催しでしたが、そこでチャン先生にお会いできて、ラッキー!
とても気さくな感じの方で、テレビで拝見するよりもっと美人( ^ω^ )
2ショットで写真を撮っていただきました

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2011年10月21日 (金)

「小説に見るオンマの味」

一昨日19日 コリアプラザ名古屋の文化講演「小説に見るオンマの味」に行ってきました。
申京淑さんは、黒とグレーにペンダントが光るシックな装い。
兼若敏之先生は、写真通りのお姿でした。

「母をお願い」の中に登場する約30種の家庭料理の名称と日本語訳、100種の食材などの名前と日本語を記した資料をいただき、これはラッキー!でした
いったいこれはどんな食べ物なんだろう・・・と、小説を読みながら疑問に思っていたところが多かったですから。
この資料はこれからも活用させていただきます。

集英社の方、お二方の挨拶に続き、兼若先生のアヤオヨ体操で始まりました。初めて目にして、あ~なるほど、これか~と兼若先先生のキャラにあらためて魅了されました(^-^;

申京淑さんのお声は、ソフトでゆっくり考えながら話されるので、とても聞き取りやすく、ほどんど理解することができました。
お話の中で印象に残ったこと。。。

沢山の読者が、この小説を読んで泣いた、と言ってくれたが、泣かせる小説を書いたつもりではなく、むしろ幸福をかんじてくれるように、と書いた。読者の涙が悲しみの涙ではなく、魂の治癒、浄化の涙であることを願う。

中に出てくる数々の料理はどれも、韓国ではごく普通の素朴な家庭料理。特に全羅道に特有のものと言えば、ガンギエイ。独特のアンモニア臭があるので食べられない人もいるが、ハマると病みつきになる。

母親がつくる料理は、その中に言葉に出来ない愛情が込められている。そのことが、小説を書きながらわかった。

料理をしている間は、食べさせる人のことを集中して考える。だから、ある人のために料理をすれば、その人のことをどう考えているのかがわかる。日本では男性がよく料理をするそうだが、料理をつくってもらえば(自分を)どう考えているのかわかるのではないか。

エピローグの次女の手紙は、姉に宛てたものだが、実は、もう会えない母に宛て書いたもの。仕事と家庭で悩み、オンマのようにはできない、と吐露する次女こそ、私たち現代の女性。

現代は、社会も個人も、お互いがオンマの役割、視線をもつ時代。息子が母親にとってのオンマの役割を果たすこともあり得る。
小説のオンマは、女性がオンマとして生きるしかない時代のオンマ。子供たちに夢を託すこの時代のオンマたちが、今の韓国をつくった。

いかに時代が変わろうと、オンマは、小さな生命をまごころを込めて育て、次の世代へつなげるもの。これがないと人類は滅亡、といっても過言ではない。

過ぎた時代のオンマの象徴として、また、母性を忘れかけている現代、オンマの時代をふり返り凝視するときと考え、この小説を書いた。


・・・かいつまんで紹介すると、このようなお話がありました。
とくに最後に、現代にこの小説を書く意味、のようなお話があったのがすごくよかったです。とても聞きたいことだったので。なるほど、と納得できました。

この日、夜には東京でもまたイベント、という強行軍で、集英社の方が、すぐ行かないと・・・とやきもきしていらっしゃる中、本にサインを求める列ができ、私もサインしていただきました003_convert_20111024230227

韓国語版を持っている方が何人もいらしたのにはびっくりでした。

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2011年10月14日 (金)

「母をお願い」日本語版

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日本語版、3日前に届きました。

さっそく一気に・・・と行きたいところですが、なかなか時間がなくて、まだ最初の数ページしか読んでいません。

なんか、文庫本に無理矢理詰め込んだ、て感じで、上下の余白が少なくて字がぎっしり詰まってるて気がします。
気のせいでしょうか・・・?

早く読んじゃいたいです。

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2011年10月 9日 (日)

オンマは・・・

엄마를 부탁해
とりあえず最後まで読みました。Onma2

解説、作家の言葉まで読みました

第4章は衝撃でしたね、やはり。
1章2章で、オンマらしき姿の目撃談がありましたが、あれはやはりオンマだったのか。
昔長男が住んでいた場所へどうやってたどり着いたのか。
ボロボロの姿でソウルの街をさまようオンマ・・・。

いつどこで、どうやって息を引き取り、鳥になったのか。
最後までそのあたりは明かされません。
1章3章の2人称の 너, 당신 と呼べる話者は、やはりオンマしかいない。ということは、すべてオンマの視点から語られたようにも感じるけれど、それも超えた神の視点とも言うべき荘厳さのようなものの中に、一人の女性の人生が浮かび上がる、そんな物語でした。
最後がバチカンの聖堂で終わるのが、すごく効果的だと思いました。

時間、空間、視点が幾重にも重なり、行き交い、不安感を感じさせます。それは、現代人がだれしも感じている漠然とした不安感にも繋がるような気がします。

オンマと子どもたちの世代は、全く違う価値観やライフスタイルを持っているようです。
韓国社会の急速な変化、時代の流れ・・・ もはや単なる母性礼賛はあり得ない時代で、オンマを描いたこの作品がベストセラーということは、、どういう意味があるのか?

そのあたりを、10/19講演では作家自身の言葉で語ってくれるのでは?と期待しています。

アマゾンで日本語版「母をお願い」が入荷したようです。さっそくポチっと購入しました。
講演会に間に合いそうです  楽しみ~

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2011年10月 4日 (火)

え~、オンマが・・・

엄마를 부탁해 Onma2

ようやく第4章の終わり近くまで来ました。
全4章+長いエピローグの作品です。

(以下、ネタばれあります)

第1章は2人称(長女)。第2章は3人称(長男)。第3章はまた2人称(夫)。
そして、第4章は1人称。オンマ自身が語り手となって、次女を、秘密の人を語る。
失踪してから何ヶ月もたっている様子。
鳥になって次女の家をうかがい、秘密の人の元へ行き・・・
てことは、オンマは死んじゃってるってこと!?

う~ん、ますます先が気になります。
궁금해~

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