古代日本人と外国語
こんな本を読みました。
湯沢 質幸「古代日本人と外国語―源氏・道真・円仁・通訳・渤海・大学寮」 (遊学叢書 (14)) 勉誠出版(2001/03)
2010年に、 増補改訂「古代日本人と外国語 東アジア異文化交流の言語世界 」が出たらしいですが、図書館には2001年版しかなかったので、これを借りて読みました。
主に8世紀から9世紀の日本にはどんな外国語が来ていたのか,外国語学習はどのように行われていたのかなど,当時の外国語と日本のかかわりの諸側面について書かれています。
冒頭,源氏物語の桐壺の巻で,光源氏・右大弁と高麗の相人が会い,「言い交わしたる」という記述がなされている場面で,紫式部は何語を使ってどのような方法で(口頭か筆談か,口頭なら直接か通訳付きか)交流をしたと想定していたのだろうか、という話題から始まります。
そこから,中国語学習が必要であった儒学における漢籍の読みの問題,教育を行っていた大学寮とはどのようなところか,儒学者や中国に留学した僧はどの程度中国語の会話能力があったか,当時の東アジアの外交上の言語の実態はいかなるものか,当時の通訳の待遇はどうだったか,など興味深い話でした。
とくに興味を引いたところ。
①当時東アジアのリンガ・フランカ(共通言語)は、書記言語・文字言語としての中国語(漢文)であったこと。つまり今日の英語のポジションに近いのが当時の中国語であり、それがそのまま外交言語として諸国間の意志疎通を果たしていた。
②漢文が必須であった当時、日本国内で話し言葉としての中国語を学ぶ機会は少なく、遣唐使として派遣された僧侶たちが文化摂取のために交流を続けるには、まさにコミュニケーション・意思の疎通が問題だった。そのため、大学寮で通訳を養成していた。
③入唐した留学僧が、あれこれ苦心して不法滞在まがいのことをしてまで、先進国であった唐の文化・学問を吸収しようとしたこと。そのため、今で言う長期留学で中国語をマスターしていた。
④母国語にない外国音に不思議な魔力・魅力を感じ、言いしれる心地に到ることもあったという点。
ある外国語を学ぶとき、その音の響きに魅せられて、という話をよく聞きます。どの外国語にも、日本語にはない音声、響きがあります。
英語の歌がなぜかカッコよく聞こえるのも、フランス語を話す女性が美人に見える?のも、その音声に魔力・魅力を感じているのでしょう。
僧侶の読経などにも、意味不明なのに、なぜか深い魔力のようなものを感じます。
言葉というものについて、時空を超えて共通する感覚、社会的状況など、なかなか面白い内容でした。
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