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2012年1月

2012年1月19日 (木)

古代日本人と外国語

こんな本を読みました。

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湯沢 質幸「古代日本人と外国語―源氏・道真・円仁・通訳・渤海・大学寮」 (遊学叢書 (14)) 勉誠出版(2001/03)


2010年に、 増補改訂「古代日本人と外国語 東アジア異文化交流の言語世界 」が出たらしいですが、図書館には2001年版しかなかったので、これを借りて読みました。

主に8世紀から9世紀の日本にはどんな外国語が来ていたのか,外国語学習はどのように行われていたのかなど,当時の外国語と日本のかかわりの諸側面について書かれています。

冒頭,源氏物語の桐壺の巻で,光源氏・右大弁と高麗の相人が会い,「言い交わしたる」という記述がなされている場面で,紫式部は何語を使ってどのような方法で(口頭か筆談か,口頭なら直接か通訳付きか)交流をしたと想定していたのだろうか、という話題から始まります。

そこから,中国語学習が必要であった儒学における漢籍の読みの問題,教育を行っていた大学寮とはどのようなところか,儒学者や中国に留学した僧はどの程度中国語の会話能力があったか,当時の東アジアの外交上の言語の実態はいかなるものか,当時の通訳の待遇はどうだったか,など興味深い話でした。

とくに興味を引いたところ。
①当時東アジアのリンガ・フランカ(共通言語)は、書記言語・文字言語としての中国語(漢文)であったこと。つまり今日の英語のポジションに近いのが当時の中国語であり、それがそのまま外交言語として諸国間の意志疎通を果たしていた。

②漢文が必須であった当時、日本国内で話し言葉としての中国語を学ぶ機会は少なく、遣唐使として派遣された僧侶たちが文化摂取のために交流を続けるには、まさにコミュニケーション・意思の疎通が問題だった。そのため、大学寮で通訳を養成していた。

③入唐した留学僧が、あれこれ苦心して不法滞在まがいのことをしてまで、先進国であった唐の文化・学問を吸収しようとしたこと。そのため、今で言う長期留学で中国語をマスターしていた。

④母国語にない外国音に不思議な魔力・魅力を感じ、言いしれる心地に到ることもあったという点。
ある外国語を学ぶとき、その音の響きに魅せられて、という話をよく聞きます。どの外国語にも、日本語にはない音声、響きがあります。
英語の歌がなぜかカッコよく聞こえるのも、フランス語を話す女性が美人に見える?のも、その音声に魔力・魅力を感じているのでしょう。
僧侶の読経などにも、意味不明なのに、なぜか深い魔力のようなものを感じます。


言葉というものについて、時空を超えて共通する感覚、社会的状況など、なかなか面白い内容でした。

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2012年1月 8日 (日)

理解と誤解のあいだ

この本を読みました。

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米原万里の「愛の法則」 集英社新書

米原万里さんといえば、超一流のロシア語通訳、数々の賞に輝くエッセイスト、作家。
2006年に56歳の若さでがんのため亡くなられましたが、今更ながら、本当にすごい才能ある方だったと思います。ファンの多さも頷けます。

これは、米原さんの死後出版された、講演集。
見事としかいいようのない語り口、米原ワールドに圧倒されました。

第1章 愛の法則   
第2章 国際化とグローバリゼーションのあいだ
第3章 理解と誤解のあいだ―通訳の限界と可能性
第4章 通訳と翻訳の違い

第1章と2章は、高校生のための講演会。
第1章「愛の法則」は、高校生相手に、お得意のシモネタを遠慮なく織り交ぜ、「女が本流、男はサンプル」という生物学の米原学説!を語っている爆笑講演。
私は完全に納得してしまいましたね~。米原さんの学説は、たしかに法則です。たぶん。

第2章もさすがです。
「日本人は、天然の国境がずっとあり続けたから、言葉とか文化に対して、非常に気楽に考えられる、幸せなおめでたい民族」
「ほんとうの国際化とは、世界にあるさまざまな文化と、英語経由、オランダ語経由(江戸時代)、中国語経由(古代~中世)ではなくて、国と国が直接の関係を築くこと。それには大変な努力と時間がかかるけれど、たった一つの言語を通して国際化ができると錯覚しているのが、日本の国際化という病気」
「国際化というのは、世界最強の国の基準に合わせることではない。どの言語もどの文化も、深いもの、おもしろいもの、価値あるものがたくさんある。軍事力、経済力は一時的なもの。文化は引き継がれる。」
「同時通訳者の90%は英語の通訳者。残りの10%の各国語の通訳者は自由闊達で話題が豊富だが、英語通訳者は個性が乏しく話がおもしろくない。」
「日本人の頭の中の情報の地図が、英語経由のものに偏っている。これが日本人の精神を貧しくしている。」
「日本語を外国語として、外国人に教えられるくらい客観的に突き放して勉強することを、徹底的にすれば、第一外国語を学ぶときに非常にやりやすいはず。」

サミットの同時通訳が、英語以外はすべて英語経由で重訳されていたとは、びっくりでした。これは確かに異常です。フランス語、ロシア語など優秀な同時通訳者がいそうなのに・・・。まだ数が不足なのでしょうか。


第3章は、通訳の仕事を具体的に語って、いちばん興味深かったです。
「言葉というのはモノそのものではなく、あくまでもモノを指す記号」
「概念をコード化したものが言葉。その言葉が認知、解読され、相手の概念となる。この二つの概念が近ければ近いほど、コミュニケーションは成功」
「言葉というのは、いろいろな意味を併せ持っているもの。通訳するときは、なるべく意味の幅を狭めて、必ずこの意味で受け取ってもらえることを目指して、訳語を選んでいく。」
「肝心なのは発言者の言いたいことを相手に伝えることでって、途中のプロセスは必ずしも元に忠実じゃなくてもいい。省略できるところは省略して、最終的に双方のイメージが一致することが大事。」
「言葉の意味は文脈によって判断される。文脈とは、文章の中だけでなく、その言葉を取り巻いている環境、歴史的文脈など、さまざま。言葉を取り巻く状況そのものの理解を深めるよう、努めている。」
「完全にコミュニケーションが通じて最終的に理解が一致するなどということはあり得ない。通訳にはその覚悟が必要。それは通訳だけでなく、あらゆるコミュニケーションについていえる。」
「人間は他者とのコミュニケーションを求めてやまない動物。みんなが同時に笑えて、一緒に感動できることを目指し、不完全だけれども、とにかくそれを目指しつづける。」

第4章は要約筆記協会での講演。(手話通訳者が多いと思われる)
「その外国語と日本語と、この両方で小説が楽しめるなら、通訳はできる。」
「外国語の本を読むとき、辞書を引かなくても、知らない単語の意味は前後関係や構成要素で、自ずと浮き上がってくる。」
「(チェコから帰国後、中3のとき日本の古典を実際に読んだのはクラスで自分一人だったとわかって)読書そのものの感動を体験せずに、文学史のデータだけを覚えて、なんて味気なくてつまらない人生だ、と他人事ながら思った。」
「日本語とロシア語を自由に行き来できているのは、二つの言語で多読濫読してきたおかげ」
「新しい言葉を身につけるためにも、維持するためにも、読書こそいちばん苦痛のない学習法」
「通訳のコツは、単語にとらわれないこと。単語が現れる前の、心や頭の中の状態、もやもやっとしたもの=概念をとらえて訳す。」
「言葉は部品ではなくて一つのテキスト。通訳は、テキストになったものを受け取って、またテキストにしていくプロセス。それが生きた言葉。一語一句の訳は不可能。」


講演集なので、すべて語り口調で、とても読みやすいです。
それに、それぞれの聴衆に合わせて、題材や話の運びなど、よく準備され練られたことがうかがえます。それでいて、自然に流れるような話で、本当に一流の言葉の使い手ですね。

ほとんどすべて同感することばかりでした。
概念とコードの関係とか、私が今までもやもや考えていたことを、明瞭に語ってくれた気がします。


また、米原さんの著作の中でも最高傑作の呼び声高い本といえば、これでしょうか。
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「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」


これは、昨年読んだものですが、噂に違わず本当に面白く、大いに笑って泣いて考えて、ずしりとした読後感がありました。
ご存じの方も多いと思うので、内容紹介は省略します。
というか、内容豊富すぎて、とても私のつたない文では紹介できません。

米原さんの著作、もっと読んでみたいです。

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2012年1月 5日 (木)

翻訳夜話

お正月休みにこの本を読みました。

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「翻訳夜話」村上春樹・柴田元幸 文藝春秋 文春新書


ゆうさんに教えていただいた、村上春樹と小澤征爾の対談本『小澤征爾さんと、音楽について話をする』が、図書館の予約待ちなので、すぐに借りられたこの本を読みました。

すごく面白くて興味深く、役に立つ内容でした。

自分ほど翻訳をたくさんする小説家はいない、と自負するほどの翻訳好きである村上春樹。その村上春樹の翻訳チェックを担当した翻訳家で東大教授の柴田元幸。
この二人が学生や若手翻訳家と問答しながら、それぞれ翻訳に対する考えを率直に述べています。

村上さんは、やはりこの中でも、文章はリズム、ビート、うねりが重要だと強調しています。ビートとうねりがないと、文章がうまく呼吸しないから読みづらい、翻訳するときは、原文のリズムをうまく日本語に移し換えることを意識する、と。

そのほか、印象に残ったところ。(ほとんど村上春樹の発言)

・翻訳に求められるものは、ひとくちでいえば「偏見のある愛情」。

・自分の翻訳はどちらかといえば逐語訳。だが、オリジナルのテキストにある呼吸、リズムを、表層的にではなく、より深い自然なかたちで日本語に移すために、あえて、独断で長い文を切ったり、つなぎ換えたりすることもある。

・文体についてあれこれ考える必要はない。相手のテキストのリズム、雰囲気、温度を自分の中に入れて、それを正確に置き換えようという気持ちがあれば、自分の文体というのはそこから自然に染みこんでいくもの。

・美しい自然な日本語を書こうみたいなものは捨てて、原作者の心の動きを、息をひそめてただじっと追うしかない。極端に言えば、翻訳とはエゴを捨てることだと思う。うまくエゴを捨てられると、忠実でありながら、しかも官僚的にならない自然な翻訳が結果的にできるはずだと思う。

・日本語を磨きましょうという言い方には違和感がある。所詮自分の使える日本語しか上手く文章にはのらない。いわゆる美しい日本語を強いても自分の中には染みこまないと思う。(柴田)

・一人称の表記について。「私」か「僕」か。僕自身(村上)はどっちでもいい。すべてはテキストが規定するし、僕はその流れに乗るだけ。

・小説を書くときは、ものすごく苦労して一生懸命考えるけど、翻訳するときは、文章的には苦労したことはぜんぜんない。

・自分の小説が英語経由で他の言語に重訳されることが多いが、作品自体に力があれば、多少の誤差は乗り越えていける、と思うから、多少違ってしまっても訳されたほうが嬉しい。

・翻訳というのは、極端に濃密な読書である、といえる。翻訳したものが自分の中に沈み込んで、書くものに反映される、ということもある。

・音声的なリアリティーと文章的、活字的なリアリティーは全く違うもの。だから意識的口には出さない。目で追うリズム、目で掴むリズムが重要。

後半、レイモンド・カーヴァーと、ポール・オースターの短編を、両人が競訳したもの、それについての問答、またその原文も掲載され、とても盛りだくさんで内容たっぷりでした。
英語の小説の細かいニュアンスは、もちろん分からないのですが、お二人の訳が結構違うのにびっくり、また納得。
作家への思い入れ、自分の文体、いろんなものが現れるんだな、と。

また、翻訳学校の生徒の質問「自分のスタイルをつくるにはどうしたらいいか」に関連して、村上さんの答え。
「いちばんいいのは、グループなんかでみんなで読みあって、お互いに意見を言ったり批評するのが有効なのではないかと思います」

これって、ぽにょっ会でやってますよね

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2012年1月 3日 (火)

2012年の目標

東海地方ではお天気も良く、おだやかなお正月です。

昨年の目標4つすべて達成できなかったという反省を踏まえ、今年の目標を立ててみました。

ミレ韓国語学院の通信講座を必ず期限内にやり切る。
    昨年12月初めに、通訳翻訳応用コース第Ⅲ期を終えました。次は、ちょっと変えてみたいと思い、作文上級コースを受講することにしました。
通訳翻訳コースといっても、具体的なスキルを学べるわけではなく、ニュースのディクテーションと音読、韓訳、和訳、と総合的に上級の勉強をする、という感じでした。
1年半続けたおかげで、音読テープはネイティブ講師から良い評価をいただけるようになりました。また、和訳はほとんど修正されることがなく、正直ちょっともの足りないな、という気がしてきました。
そこで、会話、とくに発話力を鍛えるにはどうすればいかと考え、発話とは、日→韓を頭の中で瞬間的に変換して正しい発音でアウトプットすることだ、との考えに至りました。
それで、日→韓をもっと鍛えるべく、今期は作文を集中的にやることにしたのです。

韓国語の本を5冊以上読む。
   昨年は4冊に終わってしまいましたが、今年こそ…!

ぽにょっ会以外に1冊翻訳する
    短編小説かエッセイを、自分なりに翻訳してみたいと思います。

ハングル検定1級に合格する。
    「ハン検1級に挑戦」と書いて、保険をかけようかとも思ったのですが、初めからそんなことでどうする!と、自分で自分にカツを入れる意味でも、ダメもとで(やっぱり弱気?!)目標に掲げます。

はたして、1年後、どのような結果になっているか、自分でも楽しみです(*^-^)

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