僕とB 担当部分
キム・ジュンヒョク短編集「楽器たちの図書館」を翻訳しちゃおう、という”ぽにょっ会”。
今回は「僕とB」です。
久しぶりに会ったBと僕が話をする場面から、僕がBのドキュメンタリーを作ろうと撮影を始めるところまで、が担当でした。(203ページ10行目から207ページ12行目)
悩んだところ、気になったところなど。
①p203 해줄까보다
-ㄹ까 보다 … 네이버 국어사전には、「①推量、②不確な自分の意志を表す:…(し)ようかな。」とあります。
てことは、単に-ㄹ까 と意味としては変わらないようです。 보다 がつくと、自分はそう見ている、という感じが少し強調されるのかな、と思いますが、訳出するのは難しく、単に「してあげようか」としました。
こういう口語的な言い回しは、生活体験がないと具体的なニュアンスがわからないので、理解できているのか不安になります。
②p204 사람들이 알아봐?
直訳「人々が見分ける?」
街角ですれ違う人々が「あ、あの人、もしかしてこの頃有名なギタリスト?」などと『見て分かる』ようになり、「サインしてください」みたいに声をかけてきたりするのか?みたいなことかと思いました。
사람들 を主語にした文を時々見ますが、日本語になりにくいですね。 ここでは主語をなしにして「顔を知られた?」としましたが、もっといい訳がありそうな気がします。
③p205 다정하게
つぶれそうな会社に残るかどうか、心の中の天使と悪魔のような二人の人間が 『다정하게』 ささやき合う…。
다정하다 は,優しい、情が厚い、思いやりがある、親しい、というような意味ですが、この場面にはしっくりこなくて、「親密に」としましたが、これもいまいち。
今考えたら「仲良くおしゃべりしていた」とかにすると、皮肉っぽい感じが出たかも。
④p206 엿장수
「飴屋」? デジタルカメラの部品を飴屋に売るとは…?
엿장수を含む慣用句かことわざでもあるのではないか、と検索して調べてみましたが、わかりませんでした。
また、こういうときの調べ方を教えていただけたら有り難いです。
⑤全体に会話でのBの語尾。
会話のとき、Bは年下なので原則-요 の존댓말 ですが、ときどき 반말 も混じります。これをどうするか。
例えば203ページの後半、もういちど電気を通したらアレルギーが治るかも、という僕の言葉に、Bが返す言葉は全部パンマルになっていて、その後また -요 に戻っています。それでBがあきれている様子がよくわかります。
Bの台詞を全部同じ調子の語尾にしてしまうと、この部分のニュアンスが上手く伝わらないな~、とちょっと悩みました。
日本でも学生時代の5歳違いだとかなり先輩後輩なので、いつまで経っても先輩に対しては敬語で話たりしますよね。
この場合は音楽の趣味で友だちになったしギタリストだから、5歳違いでも、日本語ならやっぱり親しくなってから『です、ます』は不自然かな、と思いBの言葉もタメにしましたが。
初めは全面敬語、親しくなってきてパンマル混じりになってくる、関係が近づいて変わってくる感じを上手く出せたらな、と思います。
みなさんはどうされましたか?
ほかにもお気づきの点、いろいろ教えてください m(_ _)m
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