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2012年2月

2012年2月23日 (木)

僕とB 担当部分

キム・ジュンヒョク短編集「楽器たちの図書館」を翻訳しちゃおう、という”ぽにょっ会”。
今回は「僕とB」です。

久しぶりに会ったBと僕が話をする場面から、僕がBのドキュメンタリーを作ろうと撮影を始めるところまで、が担当でした。(203ページ10行目から207ページ12行目)

悩んだところ、気になったところなど。

①p203 해줄까보다
-ㄹ까 보다 … 네이버 국어사전には、「①推量、②不確な自分の意志を表す:…(し)ようかな。」とあります。
てことは、単に-ㄹ까 と意味としては変わらないようです。 보다 がつくと、自分はそう見ている、という感じが少し強調されるのかな、と思いますが、訳出するのは難しく、単に「してあげようか」としました。
こういう口語的な言い回しは、生活体験がないと具体的なニュアンスがわからないので、理解できているのか不安になります。

②p204 사람들이 알아봐?
直訳「人々が見分ける?」 
街角ですれ違う人々が「あ、あの人、もしかしてこの頃有名なギタリスト?」などと『見て分かる』ようになり、「サインしてください」みたいに声をかけてきたりするのか?みたいなことかと思いました。
사람들 を主語にした文を時々見ますが、日本語になりにくいですね。 ここでは主語をなしにして「顔を知られた?」としましたが、もっといい訳がありそうな気がします。

③p205 다정하게
つぶれそうな会社に残るかどうか、心の中の天使と悪魔のような二人の人間が 『다정하게』 ささやき合う…。
다정하다 は,優しい、情が厚い、思いやりがある、親しい、というような意味ですが、この場面にはしっくりこなくて、「親密に」としましたが、これもいまいち。
今考えたら「仲良くおしゃべりしていた」とかにすると、皮肉っぽい感じが出たかも。

④p206 엿장수
「飴屋」? デジタルカメラの部品を飴屋に売るとは…?
엿장수を含む慣用句かことわざでもあるのではないか、と検索して調べてみましたが、わかりませんでした。
また、こういうときの調べ方を教えていただけたら有り難いです。


⑤全体に会話でのBの語尾。
会話のとき、Bは年下なので原則-요 の존댓말 ですが、ときどき 반말 も混じります。これをどうするか。
例えば203ページの後半、もういちど電気を通したらアレルギーが治るかも、という僕の言葉に、Bが返す言葉は全部パンマルになっていて、その後また -요 に戻っています。それでBがあきれている様子がよくわかります。
Bの台詞を全部同じ調子の語尾にしてしまうと、この部分のニュアンスが上手く伝わらないな~、とちょっと悩みました。

日本でも学生時代の5歳違いだとかなり先輩後輩なので、いつまで経っても先輩に対しては敬語で話たりしますよね。
この場合は音楽の趣味で友だちになったしギタリストだから、5歳違いでも、日本語ならやっぱり親しくなってから『です、ます』は不自然かな、と思いBの言葉もタメにしましたが。
初めは全面敬語、親しくなってきてパンマル混じりになってくる、関係が近づいて変わってくる感じを上手く出せたらな、と思います。

みなさんはどうされましたか?

ほかにもお気づきの点、いろいろ教えてください m(_ _)m

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2012年2月12日 (日)

漢字と日本人

この本もすごく面白いです。

Kangitonihonjin

                   高島俊男「漢字と日本人」文春新書

著者は中国語学・中国文学の専門家。
エッセイストとしてもファンが多いといいます。

冒頭、「カテーの問題」を取り挙げています。
ある中学生の事件について新聞記者の質問に、校長先生が「それは仮定の問題」と答えたら、「校長は家庭の問題だと語った」と報ぜられてしまった、という話。

あるある~そういうこと、と日本人なら誰しも納得する話です。

今「かてい」とキーボードで打ったら、上の二つのほかに「過程、課程、下底、家弟、嘉禎」がありました。
このように偶然同じ音を持つ言葉が非常に多いが日本語の特性です。

それでなぜ会話するときに混乱しないのか。

それは、それぞれの言葉に漢字がはりついているから。
文脈から瞬時に判断し、無意識のうちに該当する漢字を思い浮かべて聞いたりしゃべったりしているから。

日本語ネイティブなら全く無意識に行っている、この高度に奇妙な言語認識について、なぜこうなったかを、漢字と日本語の歴史をたどりながら、解き明かしていきます。
また、明治以後、戦後の国語改革について舌鋒鋭く切って、日本語というものを考えます。

私も韓国語を知ってから、この「漢字はりつき日本語」って不思議だな~、文字の種類がひとつの言語(大部分がそうでしょう)を母語とする人々は、いちいち文字を思い浮かべながら話をするなんてこと、あるのだろうか、と疑問に思っていました。
同じく漢字語が多いため、日本語ほどではないにしろ同音異義語が多い韓国語ですが、現在は大部分の韓国ネイティブはほぼハングルのみの言語生活を送り、「漢字はりつき」はなさそうです。
それでどうして同音異義語を区別しているのか、不思議でした。

この本を読んでなるほど、と思わせられるところがたくさんありました。

・日本語と漢語はまったく系統も性格も違う言語なのに、漢語を表すための文字である漢字で日本語を書くということは、まったく不便で困難と混乱が伴い、それは今日もまだ続いている。

・日本語の音節の数はおよそ百ほど。たいへん少ない。英語は三千くらい、漢語(いわゆる中国語)は千五百くらいだが、それぞれ四つの声調を持つ。つまり、日本語の音がとても単純なので、日本人は口が不器用。
これは、外国語を勉強する人なら誰しも日々実感していますよね。

・日本人はngで終わる音がとくにダメ。鼻へ抜けて自然に消えてゆく音は「―ウ」または「―イ」とした。
これって韓国語のㅇパッチムと日本語の対応そのままですね。韓国語は漢語のng音をㅇパッチムでかなり近い音で取り入れたけど、日本では「―ウ」「―イ」とすごく訛ってしまった、てことがよくわかります。

・日本漢字音には「中古漢語」の四つの声調のうち「入声(にっしょう)」だけは保存された。入声とは、p, t, k で終わるつまった音。 t ,k 入声にはi もしくはu をつけて発音し、それは今日までそのまま残っている。
これも韓国語の漢字音との対応そのままです。

・訓よみというものができたことによって、日本の漢字は面倒なことになった。
たとえば「とる」というのは日本語(和語)でその意味は一つ。「取る」「撮る」「採る」・・・・など漢字で書き分けるなど不要でナンセンス。純粋の日本語を書くときに、中国語だったら何という動詞をあてるかと悩む必要はない。
・・・この著者の主張には、ほほう~、とうなってしまいました。
違う漢字を書く言葉は違う意味を持っている、と思っていましたが、それはもともと漢語由来の漢字語の話で、「とる」なんて言葉の場合は、もともと和語を無理矢理漢字で書いていたんですね。
キーボードで日本語を打ち込むとき、変換候補が出て、え~この場合どれが正しいのかな?と悩むときがあります。でも、和語だったらひらがなで書くほうが、ある意味正しい、と納得しました。

・言語というのはその言語を話す種族の、世界の切りとり方の体系である。話す言葉によって世界のありようが異なる。
たとえば英語ではbrother,sisterといって、男女の区別だけして長幼の区別はせずにひっくるめてとらえる。日本語は兄、姉、弟、妹、と男女の区別とともに自分より上か下か区別してとらえる。つまり「世界のとらえかた」が違う。
・・・ここでやはり韓国語のことを思い浮かべました。

韓国語では自分より上のきょうだいは형,누나, 오빠,언니 と、自分が男女いずれかによる区別までするのに、自分より下は동생 だけで、ふつう男女の区別はしません。また、甥、姪も조카 だけで男女区別なしです。
韓国語は親族関係の呼称がいちいち細かくあるのに、なぜここだけ大ざっぱ?と思っていました。
これも「世界のとらえかた」といえるでしょう。儒教の影響が強い世界観では、上の世代を敬うことが大事で、相対的に下の者は大ざっぱにとらえておけ、ということでしょうか。

ほかにも、著者の歯に衣着せぬ主張がタカビーではありますが、ここまではっきりしていると心地よいです。

文体がごちゃ混ぜで、和語はなるべくひらがなで、という持論に従ってひらがなが多いのに、気にならずに読めます。村上春樹のいうリズムがあるのでしょうか。

わたしもまねをして、和語はなるべくひらがなで書いてみようとおもったのですが、どれが和語でどれが漢字語だか、わからないことばもあり、この最後の文だけにしました。(「かく」は和語だとおもうのですが、これは高島先生も「書く」と書いています。やはりひらがながつづくとよみづらいからでしょうか・・・)

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2012年2月 8日 (水)

小澤征爾さんと、音楽について話をする

ようやく図書館の予約の順番がきて、読むことができました。
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小澤征爾×村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」 新潮社

村上春樹さんのクラシック音楽好きは、小澤征爾さんにいわせると「正気の範囲をはるかに超えている」。
それがよ~くわかりました。

「音楽の専門教育を受けたこともない素人」と自ら言いながら、小澤征爾さん相手に深い深い音楽的な意見も堂々と述べ、古今の演奏を聴きながら音楽について話ができることを、少年のように喜んでいることが感じられます。

へえ~、と思ったのが、オーケストラがしゃべる、というところ。
古楽器演奏のベートーベンのピアノ協奏曲第三番を聴きながら小澤さんが言うには、このオーケストラは子音が出てこない、と。
『たかか』とか『はささ』とか、母音にどういう子音をくけていくか。『たらぁらぁ』といくか『たわぁわぁ…』でいくかで音の表情が変わってくる。音楽的に耳が良いというのは、その子音と母音のコントロールができるということ。

う~む、わかったようなわからないような。
村上さんは初めは「よくわからない」」と言いながら、小澤さんの言葉を聞くと「なるほど」とわかってしまうんですね。

いちばん興味深いのは、やはり何と言っても文章と音楽の関係。
村上春樹の創作と音楽がこんなにも深く関わっていたのか、彼の中では文章と音楽は表裏一体、切っても切れない同一のもののようです。
「音楽的な耳を持っていないと、文章ってうまく書けない」
「文章を書く方法は誰にも教わっていない。音楽から学んだ」
「文章にリズムがないと。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか。言葉・センテンス・パラグラフ・の組み合わせ、硬軟・軽重・句読点・トーンの組み合わせによってリズムが出てくる。ポリリズムと言っていい、音楽と同じ」
「ジャズの基本と同じで、しっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロビゼーションを始める。音楽と同じ要領で文章を書いていく」

また、オーケストラのスコアを読む、ということと翻訳を例に出し、
「翻訳をやっていて、ときどきぜんぜん理解できない部分に突き当たるときもある。そのままにして、時々バックして三日くらい『じっと睨んでいる』と、ページから自然に意味が浮かび上がってくる。スコアを読むというのもそういうところがあるんじゃないかと。」
それに対して小澤さん
「難しいスコアになるとそういうことって多い。音楽の場合、記される記号が簡単なぶん、知識が必要だし、理解力が必要。」

それから、小澤さんが森進一や藤圭子をボストン時代によく聞いた、というのは意外なエピソードでした。
でも宇多田ヒカルは知らない、ていうのも小澤さんらしいというか…。
そして、演歌は日本独特のものではなく、基本的に西洋音楽からきているし、五線譜で全部説明できる、て言い切っているのが新鮮に感じました。

そのほかにも、お二人がとても正直に話しているのがすがすがしいです。

この対談集全体にも、村上春樹さんと小澤征爾さん、二人のしっかりしたリズムの土台のうえに、楽しく即興演奏している様子が感じられるような気がします。

この頃聞いていなかったクラシックのCDを引っ張り出し、お気に入りのモーツアルトのクラリネット五重奏曲を聴きながら・・・。

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2012年2月 2日 (木)

韃靼の馬

辻原登「韃靼の馬」を読みました。
面白かったです!

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昨年末、新聞紙上で「今年の3冊」を選ぶという例年の企画のなかで、小倉紀蔵先生がこの本を挙げていたので、すごく気になっていてようやく図書館で借りて読みました。
いや~やっぱり面白い!
日本、朝鮮半島、大陸へと展開し、とくに後半は冒険ロマン活劇という感じで、ぜひ映画かドラマにしてほしいです。

江戸時代。
文武に秀で、朝鮮語・漢語を身につけ、神代文字が読める阿比留克人が主人公。
彼は、日本と朝鮮の貿易を取り仕切る対馬藩の若き藩士。

新井白石、雨森芳洲といった実在の人物も重要な役割をはたし、史実とフィクションが見事に融合しています。

第1部は、釜山の倭館に勤務となった克人が、朝鮮通信使における問題解決のため奔走し、通信使に随行して半島から対馬、瀬戸内海、大阪、江戸、と舞台は移っていきます。

朝鮮通信使について詳細な描写に圧倒され、当時の日本にとって、こんなに大変な大がかりな一大イベントだったということが、よくわかりました。
たとえて言うなら、オリンピックと万博とサミットが一度にやってくる、みたいなものでしょうか。
また、朝鮮側の事情や視点も描かれ、興味深いです。

第2部は、朝鮮半島から満州大陸が舞台。
ようやく、「韃靼の馬」が登場します。
韃靼(タタール、今のモンゴル)の伝説の汗血馬を求めて、克人が再び大活躍します。

二重スパイ、朝鮮の陶芸、幕府と藩、当時の外交、密輸組織、誇り高き韃靼のハーン、匪賊の砦の大活劇、…
まあ、盛りだくさんです。

中でも印象に残ったもののひとつは、大阪の米先物取引所の描写。
この時代にすでに先物取引があり、世界に冠たる水準だったとは、寡聞にして知りませんでした。

それから、綱渡り芸人リョンハン。
克人を追って通信使に加わり、克人を思い続け、助ける美しい女形芸人。
私の中では映画「王の男」のイ・ジュンギを勝手にキャスティングしていました(*^.^*)
リョンハンは男だったのか女だったのか、私は結局分からなかったのですが…

そのほかにも、印象的なキャラが続々。
韓ドラにうってつけのお話だと思います。
日本語、韓国語を自在に操る主人公を演じることができる格好いい俳優、誰かいるでしょうか。

芥川賞作家の辻原登さん、さすがです。
この「韃靼の馬」は司馬遼太郎賞に決まったそうです。

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