ケナリも花、サクラも花
韓国語を学習する方なら、ご存知の方が多いことと思います。
私もずっと前から気になっていたのですが、ようやく読みました。
鷺沢萌「ケナリも花、サクラも花」新潮社
中3国語の教科書にも一部が掲載されているそうです。
初版は1994年。今は文庫版が出ています。
上智大学外国語学部ロシア語学科在学中に小説家としてデビューし、文学界新人賞、泉鏡花賞などを受賞した作家、鷺沢萠さんが、1993年に延世大学語学堂に半年間語学留学したときの体験、思いを綴ったエッセイ。
鷺沢さんは、20歳を過ぎて、父方の祖母が韓国人であったことを知り、祖母の母国・韓国で韓国語を学ぶことを思い立ったとか。
当時日本から韓国に語学留学する人は、ほとんどがいわゆる在日韓国・朝鮮人2世・3世の僑胞(ギョポ)。
4分の1クオーターの自分は、韓国人でもなく、まるまるの日本人でもなく、僑胞でもない。その苦悩、思いがまっすぐに伝わってきます。
大部分は、筆者のその思いに溢れる文なのですが、私がとくに印象に残ったのは、やはり「ことば」に関することでした。
「音」だけで韓国語を憶えている在日以外の僑胞に対して驚くところ。
「空軍」という漢字語を例に挙げ、「コングン」という音だけで意味を理解し「空軍」という漢字を思い浮かべることなしに把握しているとは、すごい、信じられない、という。
「彼らの頭の中を覗いてみたい。空軍という単語と空港(コンハン)という単語が、どういう繋がりをもっているのか、コンという音が同一であることと意味上の類似性とが、頭の中でどういうふうに区分けされているのか、わたしはほんとうに見てみたい(というか、それを体験してみたい)。ああ、ことばって面白い。」
これは、私も韓国語を学びながらいつも思っていたことでした。
韓国語ネイティブの頭の中を覗いてみたい。漢字語なのに漢字を知らずに音だけで理解しているなんて、どういう感覚なんだろう、と不思議に思っていました。
その不可思議さが解消されたのは、以前の記事に挙げた「漢字と日本人」です。
「ことば」の実体は、「音」。
「ことば」はまず「音」として誕生し、「文字」はごく最近、ことばを記録するためにできたもの。
文字を持たない言語も多く(おそらく文字を持つほうが少ない)、漢字やアルファベットなどを借りて表記する言語も数多い。
聞き話すことに不自由はないけれど読み書きできない、という人も多いし、数百年前までは日本でもそれが当たり前だった。
それが、識字率が上がり、明治以降大量に漢字の造語が生まれ、日本人は漢字を思い浮かべながら話す「漢字はり付き」現象が普通になってしまった。
つまり、「音」より「文字」が先に立つ逆転現象が起きている、というふうに理解すると、日本語ネイティブこそ本来のことばのありようが逆転しているのだ、となぜかすっきりしました。
英語など印欧語、その他の言語で、文字を思い浮かべながら母語を聞き話す、ということはあるのでしょうか。
日本語の「漢字はり付き」はかなり特殊なような気がします。
しかし、世界には数千の言語があるといわれています。中には現代日本語のように文字が先立つ言語もあるかもしれません。
そんなことも調べてみたいです。
また、この本の中で語学の習得方法について、上智大学の教授の話も印象深いです。
語学習得の方法としてふたつある。
ひとつはとにかくその言語を使用する集団の中に入って、耳と口と体全体とで憶えていく方法。
もうひとつは、その言語を体系的に把握し、品詞や構文を理解したうえでことばを紡いで行く方法。
両方とも必要なこと。
幼児のようにはいかないが、何かの拍子に耳でキャッチしたことばに対して「あ、こういうふうに言うんだ!」と発見することはとても大事だ、と。
しかし、君たちは二十歳近い大人なのだから体系的な理解力はあるはずだ。その理解のうえのほうがスマートで時間のロスも少ない。
そのほうが「大人げがある」と筆者は言う。
二倍成人?をはるかに超えた十分すぎる大人としては、やはりそうだよね、と頷きました。
外国語を学ぶ目的は人様々ですが、私の場合必要に迫られたわけでもなく、とにかく「知りたい」「理解したい」という気持ちからなので、自分の目的に合ったやり方でいい、と少し楽になりました。
鷺沢萠さんは2004年に35歳でこの世を去られましたが、今の日韓についてどう感じられるか、もっと書いて欲しかったです。
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