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2012年3月

2012年3月30日 (金)

ケナリも花、サクラも花

韓国語を学習する方なら、ご存知の方が多いことと思います。
私もずっと前から気になっていたのですが、ようやく読みました。

Kenari

鷺沢萌「ケナリも花、サクラも花」新潮社

中3国語の教科書にも一部が掲載されているそうです。
初版は1994年。今は文庫版が出ています。

上智大学外国語学部ロシア語学科在学中に小説家としてデビューし、文学界新人賞、泉鏡花賞などを受賞した作家、鷺沢萠さんが、1993年に延世大学語学堂に半年間語学留学したときの体験、思いを綴ったエッセイ。

鷺沢さんは、20歳を過ぎて、父方の祖母が韓国人であったことを知り、祖母の母国・韓国で韓国語を学ぶことを思い立ったとか。

当時日本から韓国に語学留学する人は、ほとんどがいわゆる在日韓国・朝鮮人2世・3世の僑胞(ギョポ)。
4分の1クオーターの自分は、韓国人でもなく、まるまるの日本人でもなく、僑胞でもない。その苦悩、思いがまっすぐに伝わってきます。

大部分は、筆者のその思いに溢れる文なのですが、私がとくに印象に残ったのは、やはり「ことば」に関することでした。

「音」だけで韓国語を憶えている在日以外の僑胞に対して驚くところ。
「空軍」という漢字語を例に挙げ、「コングン」という音だけで意味を理解し「空軍」という漢字を思い浮かべることなしに把握しているとは、すごい、信じられない、という。

「彼らの頭の中を覗いてみたい。空軍という単語と空港(コンハン)という単語が、どういう繋がりをもっているのか、コンという音が同一であることと意味上の類似性とが、頭の中でどういうふうに区分けされているのか、わたしはほんとうに見てみたい(というか、それを体験してみたい)。ああ、ことばって面白い。」

これは、私も韓国語を学びながらいつも思っていたことでした。
韓国語ネイティブの頭の中を覗いてみたい。漢字語なのに漢字を知らずに音だけで理解しているなんて、どういう感覚なんだろう、と不思議に思っていました。

その不可思議さが解消されたのは、以前の記事に挙げた「漢字と日本人」です。
「ことば」の実体は、「音」。
「ことば」はまず「音」として誕生し、「文字」はごく最近、ことばを記録するためにできたもの。
文字を持たない言語も多く(おそらく文字を持つほうが少ない)、漢字やアルファベットなどを借りて表記する言語も数多い。
聞き話すことに不自由はないけれど読み書きできない、という人も多いし、数百年前までは日本でもそれが当たり前だった。
それが、識字率が上がり、明治以降大量に漢字の造語が生まれ、日本人は漢字を思い浮かべながら話す「漢字はり付き」現象が普通になってしまった。

つまり、「音」より「文字」が先に立つ逆転現象が起きている、というふうに理解すると、日本語ネイティブこそ本来のことばのありようが逆転しているのだ、となぜかすっきりしました。

英語など印欧語、その他の言語で、文字を思い浮かべながら母語を聞き話す、ということはあるのでしょうか。
日本語の「漢字はり付き」はかなり特殊なような気がします。
しかし、世界には数千の言語があるといわれています。中には現代日本語のように文字が先立つ言語もあるかもしれません。
そんなことも調べてみたいです。


また、この本の中で語学の習得方法について、上智大学の教授の話も印象深いです。

語学習得の方法としてふたつある。
ひとつはとにかくその言語を使用する集団の中に入って、耳と口と体全体とで憶えていく方法。
もうひとつは、その言語を体系的に把握し、品詞や構文を理解したうえでことばを紡いで行く方法。
両方とも必要なこと。
幼児のようにはいかないが、何かの拍子に耳でキャッチしたことばに対して「あ、こういうふうに言うんだ!」と発見することはとても大事だ、と。
しかし、君たちは二十歳近い大人なのだから体系的な理解力はあるはずだ。その理解のうえのほうがスマートで時間のロスも少ない。
そのほうが「大人げがある」と筆者は言う。

二倍成人?をはるかに超えた十分すぎる大人としては、やはりそうだよね、と頷きました。
外国語を学ぶ目的は人様々ですが、私の場合必要に迫られたわけでもなく、とにかく「知りたい」「理解したい」という気持ちからなので、自分の目的に合ったやり方でいい、と少し楽になりました。

鷺沢萠さんは2004年に35歳でこの世を去られましたが、今の日韓についてどう感じられるか、もっと書いて欲しかったです。

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2012年3月 6日 (火)

外国語の水曜日

面白いです!
黒田龍之助「外国語の水曜日―学習法としての言語学入門―」 現代書館

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著者の黒田龍之助さんはロシア語・スラブ語学・言語学の専門家で、NHKロシア語講座の講師としても人気を集め、現在はフリーランスの語学教師、という方。
詳しくはご自身が語った講演会の記録をご覧になると、よくわかります。

この本は、大学のロシア語教師時代のエピソードを中心に、語学にまつわる楽しいエッセイです。
理系大学の学生の中にも、英語以外のロシア語などの言語に興味を持つ者が少数ながらいて、そんな学生たちと黒田先生が毎週水曜日に研究室で集まり、楽しくロシア語に取り組む様子などが、軽妙な文章で綴られています。

また、とにかく外国語を学ぶのが好き!という黒田先生。
いろんな外国語に手を出し、その中には韓国語もありました。

ある年の夏、韓国語の3週間集中レッスンを受けたときのことを書いた「歌と駄洒落のハングルレッスン」。
一緒に韓国語を習いたい、という学生と二人で、日本人と韓国人ネイティブの二人の先生につき、楽しく濃密に学習したことが書かれています。

その中で、やはり、というか濃音に苦労したことが挙げられています。
「・・・・・先生の真似をしながら練習するが、息を殺してのどから音を出そうとすると、なぜかつむじのあたりが上へピンと引っ張られるような気がする。まるでマリオネットみたいに頭をピクピクさせながら、練習を繰り返した。傍からみたらずいぶん間抜けな光景である。」

また一般に、発音に関してはネイティブのほうが寛容であり、日本人の先生のほうが厳しく標準的な発音を要求する、ということ。両方があればバランスよく、ネイティブに習えば発音がよくなるわけではない、というところで、やはり!と頷いてしまいました。

第3章は「学習法としての言語学入門」となっていますが、入門の前の紹介くらいのレベルで、わかりやすく楽しく読めました。

とにかく、外国語は楽しい! もっと楽しもう、英語だけなんてもったいない!という著者自身の想いが伝わり、「ニューエクスプレス」シリーズ外国語を何かひとつ、やってみたいな~、と思わせられました。

中世チェコの聖書、ギリシア語、アラビア語文法書などをあしらった装丁もステキです

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